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教室で感じて欲しいこと/What I want you to feel in the classroom

先日、成人学校の生徒さんの一人から「友人は中国語を四年も勉強しているが、流暢に話せない」と不安げな顔で聞かされた。その裏には「私も四年後に日本語が流暢に話せるようにはなっていないのではないか」という困惑の影がちらついていた。私からは「母語と全く異なる言語を学ぶと、それが普通だろう。(あまり落ち込まないように)」とだけ話しておいた。言語学習の難易度は母語とターゲット言語の距離に強く影響を受ける。ヨーロッパ言語を母語とする学習者が日本語を学ぶ際も、想像していたようには学習が進まないのが普通で、それに対して能力や努力が足りないといったように自分を否定する必要はないということを伝えたかったのだが・・・。 今思うに、「流暢に話せる」ことを夢見て日本語を学び始めた人に対して、こうした現実だけを話しても心が晴れやかになることはないと感じる。この時、ヨーロッパ言語を母語とする人たちに、英語を学ぶ時の日本人の苦労の一端でも理解してもらえればという独りよがりな考えが私の意見に混じっていたのだろう。かける言葉としてはやや慎重さを欠いていたと反省している。だから今、この場を借りて、改めて付言しておきたい。 ヨーロッパ言語を母語とする社会人学習者が忙しい仕事の後、週数時間学校で学んだところで、日本語能力を劇的に上達させることは実際には難しいかもしれない。日本語を専攻する平均的な大学生であっても、留学等を経ない限り「流暢になる」ということはないと思う。しかし、言語学習の最終ゴールを流暢に話せるようになることと定める必要があるのだろうか。逆に言えば、目標をこのように固定してしまった場合、社会人が選択できる学習言語も自ずと限られてしまうように思う。それこそ、ヨーロッパ言語が母語である学習者はヨーロッパ言語しか選択できなくなるのではないか。 ゴールもレベルも人それぞれであっていいと思うし、言語能力の獲得以外の目的を持って教室に来てもらっても構わない。たとえ流暢に話せるようにならなくても、日本語や異なる言語世界に触れ、それとともにもたらされる社会的・文化的・知的な情報に刺激を受け、いつの日か訪れたい場所に想いを馳せる。私はこうしたワクワクした気持ちを教室で体験して欲しいと願っている。 そのためのお手伝いがきっとできると信じている。なぜなら、みなさんの目の前にいる教師は日本で生まれ育った生粋の日本人で、